子供には関係ない

根気のないプロレタリアート。

反現場主義宣言-はじめに-(1-①)

映画は映画館で観るべきである。

音楽はライブハウスやコンサート会場で聴くべきである。

鑑賞者たるもの、須らく、その作品の上映・上演されているもとへと、足を運んで、鑑賞すべきである。さもなくば、真の作品理解などが得られる筈もない。

と、上のように主張するのが、すなわち、『現場主義』というのでよろしいだろうか?

私はあまりそういった批評家じみた用語に明るくないので、間違っているかもわからない。それどころか、そんな表現など誰も使っていなかったかもしれない。まあそれならそれでかまわない。「鳴かぬなら/編み出してしまえ/フロンティア」と、句にもあるように、適当な呼び名が無ければ、その時それに気づいた人が名付けてしまえばいいのです。常識の範囲内で。

そういったわけで、取り敢えずここからは便宜上、前述したような鑑賞態度を推奨する立場を、現場主義、と称することとする。


現場主義的な態度こそが、作品を鑑賞する上で最も適切且つ、真摯な態度であり、ビデオソフト化された映画やレコードソフト化された音楽を自室で鑑賞するばかりでは、本当の感動などは得られないし、そんなもので作品を味わった気になっている奴はくそだ。もぐりの大まぬけ野郎だ。鑑賞者の風下だ。

そんな風潮が実際にあるのかないのかは知らないが、なんだかそんなムードの蔓延しているような気が、もっぱらの自宅鑑賞派である、ひきこもり気質の私には、ひしひしと感じられるのである。単に、私の勝手な劣等感がそう感じさせるだけなのだろうか。

とにかくとにかく。私は現場主義を否定する。するのだ。

(続)