子供には関係ない

根気のないプロレタリアート。

俺の愛した男(1-①)~ヴィンセント・ギャロ~

監督作『バッファロー'66』で、童貞男子の心を鷲掴みにした男、ヴィンセント・ギャロ

同時代に公開された映画で、田舎者の童貞を夢中にさせた映画といえば、『トレインスポッティング』である。しゃらくさい映像がポップミュージックに乗って疾走する、いかにも、セックスやドラッグに憧れる思春期のキッズが惚れそうな映画だ。かくいう私も、高校1年の夏、長過ぎて暇過ぎる夏休みを持て余した8月の半ば、ある日の深夜、ツタヤで借りてきた『トレインスポッティング』のビデオを自分の部屋で初めて観て、「……カッコイイ」とつい感じ入ってしまった。そして後日、DVDを購入したものだが、もしも、20代も終わりに差し掛かった年齢の今、あの映画を初めて鑑賞していたとしたらたぶん、「ションベン臭くってとてもついてけねぇやなぁ」、などと嘯き、可もなく不可もない映画の群れの中の一本として、記憶の端に追いやったはずである。

年を重ね、成長するというのはこういうことなのだろうか。なんだか哀しいような、切ないような、別にどうでもいいような、って感じ。そんなわけで、今年公開されたその続編『T2 トレインスポッティング』は観ていないし、この先観ることもないだろうと思う。だって、それを醒めた目で鑑賞するせいで、中学生のときに覚えた興奮の思い出までもが冷えていってしまうんだとしたら、それこそ、大人になることの悲劇ってもんだろう、そうは思わないかい? あ、思わないですか。そうですか。

余談だが、思春期にかぶれる映画としてもう一つ(私が勝手に)連想するのが、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』なのだが、これは男子よりも、女子がハマりそうな映画で、正直よくわからんかった。サントラは良かった気がする。

いずれにせよ、都会的なスマートさに執着する田舎者が好みそうな映画である。(是非とも強調したいのは、これはディスではない、ということだ。当時の私だってああいった類の映画こそが《クールでイカした》映画なんだ、と、熱中していたのだ)

そしてようやく本題。今回テーマにあげるのが、ヴィンセント・ギャロだ。

バッファロー'66』もそんな流れで観た映画であるが、この映画だけは今だに好きでたまに観返す。先述した二作品と違って、この映画は、映画自体が童貞だ。ここに描かれるのは、童貞が羨望の眼差しで見つめ憧れているような世界ではなく、童貞の陰湿さやみっともなさそのものである。ゆえに、上の二つとはまったく違った意味で童貞を夢中にさせるのであり、かつての童貞の鑑賞にも耐え得るのである。画質もなんか粗い感じでかっこよかったし。「まさに今、映画を観ている」といった気分に浸ることができる。ただし、この映像処理はあざとい、という意見も、認めるのにやぶさかではない。

とにかくこの映画から、私は、ヴィンセント・ギャロに入れ込むことになったのだ。

(続)