子供には関係ない

根気のないプロレタリアート。

反現場主義宣言(2)−その快感はビデオに映える−

以前テレビで、ある俳優が、「DVDで観る映画なんて映画ではない。劇場のスクリーンで観なくては、映画の醍醐味など味わえるわけがない」というふうなことを語っているのを見た。本職の人がそう言うのだから、それもまあ真実の一端なんだろう。強硬に否定はできないです。
ただ、自分のようなズブのド素人から言わせてもらうなら、映画を自宅で、ビデオで観るなりの良さだってある。そんなことを主張したい者である。私は。

音楽について考えてみる。かつて、〝レコード〟というのは、〝コンサートの代用品〟という扱いだったそうだ(ごめん、その話をどこで聞いたかは忘れた)。だが、今日にそんな捉え方をしている人はいないと思う。コンサート会場で聴く生の演奏にも、部屋のステレオで聴くアルバムにも、それぞれに別種の快感がある。
映画にしても、スクリーンで観たときとビデオで観たとき、別種の快感を覚えるはずではなかろうか?
もちろん、「そもそも音楽と映画とじゃモノが違うんだから、同列には語れない」という反対意見も当然あると思うので、ここは、映画の例として、マッドマックスシリーズを挙げて話をしよう。
シリーズ4作目『マッドマックス 怒りのデス・ロード』は実際、デカいスクリーンでデカい音量で観た時に、最もポテンシャルを発揮する作品であることは疑いがない。その密度はおそらくシリーズ最高のものと思う。しかしながら、私はシリーズ2作目の『マッドマックス 2』のほうが好みなのである。私の生まれるよりずっと前に公開されたこの作品『マッドマックス 2』を、私はもちろんビデオでしか観たことがないが(もしかしたら、リバイバル上映などあったのかもしれないけれど)、それでも充分に作品の面白さを味わえたものと信じている。というか端的に、マッドマックスシリーズ初期作はビデオ映えする作品なのである。
この〝ビデオ映え〟という感じを言葉で説明するのは非常に面倒くさいのだが、シリーズ第1作目、オリジナルの『マッドマックス』が日本のテレビで初めて放映された際、その放送を見た若者たちが熱狂的に支持したというじゃないか。そしてその後も何度か深夜放送で放映され、人気を博したらしい。
自室、というプライベートな空間に一人きり、チャチなテレビ画面と音響で観る映画というのも、なかなかオツなものである。そしてこの、オツな快感が〝ビデオ映え〟であり、いわゆる〝カルト的〟と称される作品は大抵がビデオ映えするものなのだ。マッドマックス初期のシリーズは、その快感に溢れている。それは「劇場」という公的な場では得難い快感だ。私がシリーズ近作の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』よりも初期作(おもにパート2)の方に思いが向かうのは、その点においてである。

私的な空間でひっそりと味わうことのできるその快感が、〝そんなものは映画の本来の醍醐味ではない〟と言われてしまうなら、仕方ない、自分にはどうやら映画を楽しむことのできる感性が欠けているのだと結論せざるを得ないだろう。


ところで、件の俳優さんはVシネマに関しては、一体どういったお考えなのか伺ってみたいものだ。

 

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