子供には関係ない

根気のないプロレタリアート。

反現場主義宣言-はじめに-(1-②)

そもそも、私の掲げる反現場主義などという主張は一体どういった必要により生じるものか、そこからまず話を進めなくてはなるまい。

まどろっこしい説明は抜きにして端的に言ってしまえば、ただの「すっぱい葡萄」というやつである。

人の集まる場所というのは実にストレスフルである。映画館に行けば、ケータイを鳴らす奴、ドリンクの氷をガラガラとかき回す奴、前の座席の背中を足でグリグリする奴、なんか知らんが上映中ずっとモゾモゾしてる奴等々。私はストレス耐性の低いタチなので、周辺にそんな奴らがいるとたちまち、映画に没頭することができなくなってしまうのは勿論のこと、ムカつき過ぎて頭がおかしくなりそうになるのだ。イライラムカムカしてるやばい奴、それ私。

とても楽しみにして観に行った映画で、もしもそんな奴らに出くわしてしまったら、鑑賞を妨げられたら、奴らに殴りかからないでいられる自信が私にはない。正気でいられる感じがしない。

とにかく、他人とは極力接点を持たないようにして生活するのに越したことはないのだ。

人類みんなが他人に干渉することやめればきっと世の中の問題の大半が片付く。

他人はストレスの元であり、ストレスは万病の元である。つまるに他人とは自分を害するものであって関わらずにいるべきなのだ。

だけどそんな僕だって映画を楽しみたいし、音楽を聴いてはしゃぎたい。

人間ぎらいのやばい奴が、他人と接することなしに文化を享受したいという欲求から生じたのが『反現場主義宣言』というものなのです。

私だって営みたいのだ、健康で文化的な生活を。最低限度。

私の主義主張、思想信条はすなわち、涙ぐましい自己欺瞞の成果、といって差し支えありますまい。